Copyright 1998-2003 by Hamulabo

はむらぼ音楽講座 演奏会に行った!

はむらぼの辛口演奏会レビュー

<東京近郊編>

Last Updated.2003/8/11

(注)曲名等は正式表記しておりませんので、ご了承下さい。

■演奏会に行った!(バックナンバー) 2001〜2年/2000年1999年1998年1997年
はむらぼホーム

<はむらぼの辛口演奏会レビュー>

コンコルディア第31回定期演奏会

■ 初めての連荘 □■□■

 純粋な聴衆としては、ワタクシ的にはおそらく初めての連荘。この日はマチネで楽友のポピュラーコンサートを王子で聴き、終演後すぐさまかつしかに駆けつけました。正直、ヘトヘトに疲れましたね。もう連荘はしばらくいいかな? ということで、以下、かなりお疲れ&オケ演奏会との比較というフィルターがかかっていることをご容赦くださいね。

 さて、コンコルさんの演奏会は、以前から気にはなりながら伺うチャンスがなく、今回が初めてとなりました。年末のチェロパサミットでお世話になったちょっちさんが出られるし、なによりも20年振りに再演するピアノ協奏曲を聴きたいと思ったのです。レビューとしてはどうしてもお昼のオケと比べてしまったのですが、1)実におとなしい演奏会という印象、2)音のきれいさが際立っていた、3)マンドリンオケのピアノ協奏曲という形態はそれほど悪くない、というものでした。

■ お行儀の良い態度 □■□■

 演奏そのものではなく、演奏会全体の雰囲気といいましょうか、演奏が始まるまでの時間といいましょうか、マンドリンの演奏会は(この日のコンコルさんに限らず)実にお行儀の良いものだなあと思いました。舞台上のチューニングの有無が一番の原因なのですが、オケでは休憩時間からメンバーが舞台に上がっていろいろな音出しをしているぢゃないですか? 難しいパッセージをいまさらさらっていたり。。。笑 でも、マンドリンの演奏会はみんな並んでぞろぞろと舞台に集まって、チューニングもごく小さな音でぺんぺんとあわせる程度(もちろん舞台袖で格闘したからこそなんですけど)。そしてコンマスが入ってくるまでじっと待っていて、また指揮者が入ってくるまでは、みんな静かに下を向いてごそごそしている。

 正直、極めて違和感があったのです。指揮者が出てきて、よーし、始まるぞ!という気分の盛り上がりが、ほとんど感じられずに、あれれっていう間に演奏が始まってしまう。舞台上でメンバー間が会話をする間もなく、一人一人が自分の世界に閉じこもったまま演奏が始まってしまう。楽器の特性で仕方ない部分があるのですが、オケの演奏会と比べて下を向いている人が大半なので、舞台上の人たちの首の付け根がとても強調されて見えてしまったのです。うーん、これは非常にマイナス。ワタクシ自身、マンドリンオーケストラの演奏会という一つのパフォーマンスをどう演出するか、もう少し真剣に考えるべきだなと感じました。

■ 均質な透明感 □■□■

 うむむと唸っている間に1曲目が始まりましたが、その瞬間またまたびっくり。音が極めて透き通っていて均質な透明感を感じました。いやはや、この驚きはこれだけ業界に長くいるにも関わらず初めての経験かもしれません。お昼のオケでチューニングの甘さが気になっていたこともあるのですが、コンコルさんの音は極めて透明で均質な一本の線に聴こえたのです。各部の始まりでもそう感じましたから、チューニングが上手なのでしょうね。この音色を聴いただけでも、この日の演奏会に来た甲斐があったと思うほどでした。

 もっとも辛口レビューとしては、この透明感が一つの「音」としてしか感じられず、あまり「音楽」の中で感じられなかったのが残念。きれいな音なのですが、透明感のある「演奏」ではなかったかな。各パートのバランスや和声の作り方、フレーズの処理などなど、いろいろな要素が作用しているでしょうから、透明な音楽作りは本当に難しいです。指揮者や演奏者が、そういう志向を持っているということも大前提ですしね。アマチュアの団体に、そこまで要求するのは酷かもしれません。

 もう一つ、演奏技術的に気になったのは、フォルテの処理です。まだまだみなさんのフォルテは、早すぎますね。譜面にcresc.と書かれていると、もうそこから力いっぱいフォルテで弾いてしまうという、よくあるミスです。あるいは、フォルテからフォルティッシモへのcresc.ができないとか。。。マンドリン合奏では、最大音量がそれほど大きくありませんし、どんなにがむしゃらに演奏しても音が厚くなるとは限りません。やはり、相対的に考えるのが一番の近道だと思います。出だしを小さく、我慢に我慢を重ねて、最後の最後で音量を上げていく。そして、次のフレーズに入る直前に、変な隙間を空けない、さらに次のフレーズの出だしを揃えて、cresc.の頂点よりも大きな(豊かな)音量での演奏を心がける、そんな工夫があると良いと思いました。

■ マンドリンオーケストラとピアノのための協奏曲 □■□■

 さてさて、お目当てのピアノ協奏曲「響」@龍野順義さん。マンドリンオケとピアノ独奏という編成は、それほど違和感がなく、素直に音楽が耳に入ってきました。いずれも音がすぐに減衰する楽器なので、音の方向観が似ているのかもしれません。ピアノ独奏で盛り上がった直後のオケがひ弱に聴こえてしまうのは、ちょっと残念ですが仕方がないですかね?

 作品に対して辛口を。ワタクシ的には、協奏曲という形態は、対立から融合へのプロセスが面白くて、大好きなジャンルの一つです(吉松さんのギター協奏曲「天馬効果」のイメージして下さい。ギターという荒れ馬がオーケストラという天の力を得て、最後には天馬に登りつめる=調和あるいは一体化するというシナリオ@形式がなんとも魅力的なのです)。その点では、1楽章は非常に興味深く聴けたのですが、それ以降の対比と調和があまり面白くなかったです。グリーグのピアノ協奏曲のような冒頭のピアノの「響き」は良いのですが、マンドリンオケの「響き」は、あまり印象に残りませんでしたし、どうも最後まで両者の「響き」が一つになったとは思えなかったのです。もっとも、そういうコンセプトで作曲したわけぢゃない、って作曲家に言われてしまうかもしれませんが、、、(笑)。とはいえ、20年振りの再演という意欲的なプログラムで、独奏者の増井さんは完全に暗譜していましたから(驚)、ワタクシとしては満足しています。

■ 指揮者とメンバーとの温度差 □■□■

 最後に、気になる点を一つ。どこの演奏会でも多かれ少なかれ、指揮者や中心スタッフとメンバーとの温度差が気になるのですが、コンコルさんの演奏でもそれを感じてしまいました。指揮者が一生懸命振っているのに、出てくる音楽が結構淡白であったり、先のフォルテのようにピークカットされていたり。あるいはパンフレットの曲目解説のように、極めて力が入って素晴らしい出来なのに、集客自体はあまり多くない。客を呼ぶことへの執着があまりないならば、メンバーのみなさんの目標ややりがい、楽しみって何なのでしょうか? 第三者の立場からすると、これだけのこだわりをもったプログラムで演奏会を行っているのだから、もっともっと演奏技術を磨いてたくさんの人を唸らせて欲しいと思いました。そして全員参加のパワーを見せ付けて欲しいものです。ちなみに、大変疲れていたにも関わらず、ワタクシとしては演奏会が長いとはちっとも思いませんでしたよ。これからのコンコルさんに、大きな期待を寄せているのです。

■ 補足(ボッタキアリの「デラ・カルソン」について) □■□■

 初めて聴いた曲だったのですが、ギターがかき消されていたので、ピアノではなくハープを入れるべきでは?と思っていました。先日、スコアを入手して良く読んでみたら、オリジナル譜がピアノなのですね。ちょっとびっくり。でも、2ndとDola、チェロがad lib.となっていたので、もしかすると、もともとは1台のマンドリンとギター、あるいは1台のマンドリンとピアノという編成で書かれた曲のような気がしました(真相はまったく違うかもしれませんが、、、)。

 ピアノパートは、最後のグリサンドを除いて、すべての音がどこかしらのパートと重なっていますから、独立したパートとして書かれているというよりはピアノスコアの位置付けでスコアに書かれているような気がします。もし1st、2nd、Dola、ギター、チェロ、ピアノという編成で演奏するならば、もう少し効果的なオーケストレーションをした方が良いと思いますが、みなさんいかがでしょう?

(2003/8/8 さとーひろし)

 ■コンコルディアのサイト■■■
 ■そしがやさんによるレビュー■■■
 ■ひこらろさんによるレビュー(6/22付け)■■■

選択画面にもどる。



<はむらぼの辛口演奏会レビュー>

東京楽友協会交響楽団第74回定期演奏会

■ 久しぶりの東京文化 □■□■

 以前から行きたいと思っていた楽友の定演に、ようやく行くことができました。オケの演奏会もほんとに久しぶりでしたし(半年前に座間で竹松舞@読売日響を聴いたりしていますが)、上野の東京文化に行くのももしかして98年10月に都民響でトラをしたとき以来? 駅がすっかりきれいでおしゃれに変わっていたのには、ほんとにびっくりしました。

 さて、この日のプログラムは、ラヴェル、ファリャ、プロコフィエフといったオール「色モノ」。ワタクシ的には大好きな曲ばかりでしたので、目の前でまさにその瞬間に好きな音楽が創られていることだけでとてもうれしかったのですが、人によってはかなりヘビーなプログラムだったのではないでしょうか?(演奏者も聴衆も) アンコールを含めると全部で25曲もありますからねえ。。。笑

 さてさて、好きな曲なのでレビューも辛口系で。良かった点は、おそらく大変難しい曲を、多少のミスはあったにせよ大変立派にそつなくこなしたということ。同団の長い歴史とハードなスケジュール(年に2回の重量級プログラムの定演)をこなしているため、底力がそうとう高いレベルにあると感じました。普段はCDでしか聴かない、いわばプロの世界にあるものを、自らの手で作り上げていることに(それだけの演奏技術やマネジメント能力、財政的な余裕があるということ)、分野は違うとはいえ同じアマチュアプレーヤーとしてうらやましく思いました。で、とくに関心したのが、ミスや事故のあとのリカバリが上手なこと(笑)。これは演奏者にとっては極めて重要な技術だと思っていますが、一瞬の不安を後に残さずに、すぐに平静な演奏に戻せるというのは一日や二日の練習でできることではないものです。これだけ組曲が続くと緊張感が途切れてダラダラとした演奏になってしまう恐れがあるのですが、ちゃんと形にできたのはさすがだと思いました。

■ パーカションを満喫 □■□■

 オケの各パートの技術水準ってあまり詳しくはないのですが、この日の演奏を通じて、パーカッション群が大変充実していると感じました。マンドリン合奏でラヴェルなんて演奏しようとすると、打楽器がずれまくってしまって大変なのですが、オケの方が合わせるのが楽なのかな?心地よいタイミングで鳴り物が鳴って、パートとしても一体感のあるものだったと思います。そうか、プロコってスネア3台も使うのね。ラヴェルの最後?では、グランカッサから銅鑼の一発早業など、見た目にも楽しませていただきました。その他、印象に残っているのはストヴァイの音の厚みやチェロソロあたりかな?

 個々の曲では、1曲目のラヴェルが一番良かったと思いました。演奏者がラヴェルの音楽を良く知っている、ということが理由でしょうか? とても良い雰囲気が出ていましたね。必ずしも透明感のある演奏(各奏者の音符が目に見えるような)とは思いませんでしたが、全体的なウネリを感じた演奏でした。

 で、以下からが辛口を2点ほど。1つは、この楽友のような技術レベルを誇る楽団にとっての目標が何なのかという点。それと関連するのですが、2つ目として「色モノ」に対するメンバー間の温度差かな?

■ 目指すものは? □■□■

 まずは「目標」と表現したことについて。マンドリンオケの編曲作品とは異なり、管弦楽団って文字通りプロと同じ土俵での戦いになってしまうので、聴く側の基準もプロの演奏やCDとの比較になってしまうということ。この日の演奏を聴いて、ワタクシ的にすぐに思い浮かんだのがクリュイタンスやブーレーズのラヴェルであり、アンセルメやデュトワのファリャ、小沢やアバド、ゲルギエフのプロコだったのです。こういう明確な「比較対象」がある中で、アマチュアオケのみなさんは、いったいどういう「目標」を持っていたんでしょうね? メンバーによって想いの差はあるでしょうけど、楽友というオケはおそらく「普段やられない曲を取り上げてみました」って演奏で満足してしまう団体ではないはず。言葉の遊び@あげ足取りのつもりはまったくないのですが、当日のパンフレットには、「自己満足のみの演奏ではなく、より良い音楽を作り出すこと」「異国の空気をお届けします」ということが書いてあります。確かにそれなりの雰囲気を作って、曲の持つニュアンスを良く表現していたと思うのですが、ワタクシにとっては、それはスタート地点では?と思ったのです。そこから先の「何」を目標としていたのかが良く見えなかったかな?

 これは、もしかして指揮者やプログラムとの相性の問題のような気もしています。どういう風に曲や指揮者およびその組み合わせが決まっているかはわからないのであくまでも表面的な印象ですが、どうもファリャには違和感が残りました。どちらかと言うと、指揮者の橘さんはプロコ系が好き@得意で、楽友としてはラヴェルは経験豊富だからまあ大丈夫って感じ。ファリャについては、バレエ音楽もこれまでほとんど演奏していないし(ストラヴィンスキーなどは演奏しているようですね)、ファリャもほとんど20年ぶりに近い演奏とのことで、一部の意欲的なメンバーが推薦して指揮者やその他の多数のメンバーは可もなく不可もなくって感じだったのではないでしょうか?(全然違ってたらゴメンなさい。そういう印象を受けたということで、ご容赦いただきたく。。。)

■ 色モノが好き嫌い? □■□■

 ほんとはパートでまとめてはいけないのでしょうけど、弦、木管、金管、打楽器という括りで、この演奏者の思い入れに温度差を感じてしまったのです。これが二つ目の「色モノ」の温度差ということ。「色モノ」というか「お国モノ」「民族モノ」って、こういう好き嫌いの思い入れがどうしても演奏に出てしまって、だからこそ大変難しいと思うのです。わかっている人にはちっとも難しくないリズムでも、普段接していない人にとっては最後まで表現できずに理解できないもの、言い換えれば「共感」できないものなんですよね。ラヴェルやプロコは、その中でもまだ譜面通り弾けば「色」の多くを表現できるので良いのですが、ファリャはそこまで消化できていなかったと思います。だからこそ、どこまでが楽友や橘さんの目標だったんでしょうね? ワタクシの期待が大きすぎたのかな?

 ファリャについて言えば、作品自体が二つの側面を持っているような気がして、根っこではスペインの「土」を感じさせるものの、オーケストラ作品としてはどちらかと言うとフランスもののような洗練さを目指しているように思えます。スペイン系を強調するのであればブルゴスやアンセルメ、スマートに演奏するならばデュトワやブーレーズあたりでしょうか? 「異国の空気」って、スペインの「土」や「日差し」をイメージしていたのか、スペインから見た「中央」音楽へのあこがれなのか、はたまた「三角帽子」というテキストを表現していたのか。そのあたりをもっともっと感じさせてくれると、うれしかったのですが。。。

 プロコで言えば、難しいパッセージもこなして音程もそれほど気にならなかっただけでもすごいと思いますが、あえて言えば盛り上がった後に弦が裸になる部分での「艶」が足りなかったのが残念。演奏者の思い入れで解決できるかどうかはわかりませんが、作品に対してより強い共感があれば、そういう部分での音量がもっと大きくできたのではないでしょうか? 作品自体を「組曲」としてみると、一曲一曲が短かく、それぞれの関係性も薄い(同じ旋律が形を変えて頻繁にでてくるわけではない)ため、ちょっと中途半端な気がしました。あれだけの曲数をやるならば、本来のバレエ音楽のようにあまり曲間に休みをいれずにストーリー性(すなわち旋律@主題)を強調して、大見得を切って欲しかったです。ロメオとジュリエットの「悲劇性」を、これでもかこれでもかって訴える演奏ではありませんでしたからね。あるいは、ストーリーではなく演奏会形式の作品として捉えたのであれば、曲が多すぎたかもしれません。ロシアの叙情性を強調したかったのならば、もっと意識的なテンポ変化や炸裂系サウンドがあっても良かったです(十分迫力はあったのですが、最後のもう一押しを期待しているのです)。そういう観点からも、指揮者やメンバーのみなさんの狙いがどこにあったのかを知りたかったし、また演奏からはあまり良くわからなかったちょっとばかり残念な点でした。

■ 全曲版もぜひ。。。 □■□■

 とはいえ、良質な音楽を手軽に@低コストで聴かせていただき、楽しいひと時をすごすことができました。単純に「演奏会に行けて良かったなあ」って思えたことがワタクシにとって大きな収穫。当日は2階席中央で聴いていたのですが、周囲の人たちはファリャやプロコといった分野をほとんど知らない人が多かったようで、あちこちで「面白い曲だね」っておしゃべりが聴こえてきました。そんな声を聴いただけでも、なんだかうれしくなってしまうのでした。これを機会に、みなさん全曲版も是非聴いてねと思いながら会場を後にするのでした。

(2003/3/19 さとーひろし)

 ■東京楽友協会交響楽団のサイト■■■

選択画面にもどる。